桃の歴史を知ろう|あら川の桃と桃山の一年

桃の歴史を知ろう|あら川の桃と桃山の一年

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日本最古の桃のふるさと、和歌山・桃山町

夏の果物の王様・桃。なかでも「あら川の桃」は、和歌山県紀の川市桃山町を中心に栽培されるブランド桃として知られています。

実はこの「あら川」という名前、現在の地名には存在しません。かつてこの地域は「荒川村」と呼ばれており、さらに古くは弥生時代の文献で「荒河」、平安時代からは「荒川」、そして明治から昭和にかけては「安楽川(あらかわ)」と表記が変わってきました。1956年、安楽川村など3村が合併して誕生したのが現在の「桃山町」です。

地名が変わっても、あら川の桃という名称が今なお残るのは、この地の桃づくりの歴史と誇りの証でもあります。

紀の川と桃山の土壌が生んだ味わい

桃山の土は、紀の川の氾濫によって流れ込んだ砂礫(されき)により、水はけのよい土壌になっています。全国の桃の名産地が肥沃な土地を活かすのに対し、桃山では土が浅く、肥料も限られるため、枝を強く剪定して木を強くする“桃山流”の栽培方法が生まれました。

この環境が、香り高く、甘くてジューシーな桃を育てるベースになっています。

桃づくりのはじまり|江戸時代から現代まで

桃山町の桃栽培の歴史は古く、1620年ごろに紀州徳川家初代・頼信公がこの地を開墾させたことに始まります。1700年頃には苗が持ち込まれ、本格的な桃づくりがスタート。1782年には村垣泰八氏が本格的な栽培を行い、これが「新田桃」として広まり、後の「あら川の桃」につながっていきました。

戦争中(1943年〜)は芋づくりへの転換や、団新田に陸軍飛行場が建設されるなど、桃畑は一時的に姿を消しましたが、戦後の復興とともに再び桃の産地として歩み出し、今では関西屈指の人気ブランドとして知られています。

桃の一年|4月から夏までの駆け抜けるシーズン

桃の栽培は春の開花から始まります。

4月、ピンクの花が一斉に咲き、花粉のある品種とない品種の受粉作業が始まります。その後、摘蕾(てきらい)・摘花・摘果といった作業を少しずつ進め、木を拗ねさせないよう、丁寧に実を選び抜いていきます。さらに、袋がけで虫や病気から守りながら、ひと枝にひとつ、一空間にひとつのイメージで果実を育てていきます。

開花から収穫まではおよそ3カ月。非常に短く、繊細な時間のなかで、農家さんは毎日桃の様子を観察し、木と“対話”するように育てているのです。

桃の主な品種と味のちがい

あら川の桃には主に3つの品種があります。

白鳳(はくほう)

・出荷時期:7月上旬~中旬
・日本で最も生産量が多く、お中元時期に人気
・ジューシーで繊維感あり、味のバランスがよく“桃の王道”

清水白桃(しみずはくとう)

・出荷時期:7月中旬~下旬
・真っ白で紅が少しのる高級品種。なめらかで“とぅるん”とした舌触り
・糖度は控えめながら香りが強く、“桃らしさ”が際立つ

川中島白桃(かわなかじまはくとう)

・出荷時期:7月下旬~8月中旬
・大玉で甘さも抜群。糖度が高く“桃の王様”とも
・輸送に弱く、現地直売所ならではの味わい

桃の食べごろと保存方法

桃は追熟によって柔らかくなりますが、糖度は上がりません。常温で追熟させ、食べる直前に氷水で10分冷やすのがベスト。冷蔵庫で長時間保存すると風味が落ちてしまうため、 必ず食べる直前に冷やすのがおすすめです。

桃渋滞と直売所のにぎわい

毎年夏になると、桃山町には桃を求めて多くの人が訪れ、「桃渋滞」と呼ばれる現象が起こります。直売所では贈答用には出せない熟した桃も手に入り、早朝から長蛇の列ができるほどの人気です。

未来へつなぐあら川の桃

平地が多く、就農しやすい桃山町。桃はデリケートな果物ですが、だからこそやりがいがあり、若い世代が挑戦しやすい産業でもあります。

気候変動や高齢化といった課題もありますが、あら川の桃には400年以上続く歴史と、未来への希望が詰まっています。

今年も、あのやさしい甘さに出会える夏がやってきます。